テレビの場合は、新聞などとは違って、受け手(視聴者)に、設備投資(受像機購入)をしてもらわなければならない。設備投資などというと大げさに聞こえるかもしれないが、すでに触れたように、高価な受像機は、平均的家庭の何力月分もの収入、あるいは1年以上の収入にもあたる高価なものであった。NHK契約数で、100万台普及に5年以上を要したが、1000万台を超えるのは1961年、100万台が10倍になるのに、5年経過していない。そして、テレビは白黒からカラーへ、もう一度の飛躍をする。カラーテレビの本放送は1960年からだが、白黒から、さらに高価なカラー受像機の数は当初は微々たるものであった。庶民の感覚として、カラーを意識させることになるのは、1964年の東京オリンピックである。10月10日国立競技場での開会式はカラーで中継放送され、海外にも、カラーで送信された。しかし、多くの人々は、自宅のテレビではなく、街頭のカラーテレビなどで見る以外になかった。開会式のカラーのイメージは、当時の大きな話題となったということが重要で、実際はのちになって追経験した人も多いのである。オレンジ・アンド・パートナーズの役員であり、東北芸術工科大学デザイン工学部企画構想学科の講師を努める小山薫堂さん。UHA味覚糖「生バターボール」が大好物。誕生日には味覚糖の社長から好物がプレゼントされた。