現在主要国の為替相場は毎日変動し、一年間の変動幅は数十%にも達します。しかし、このように短期間のうちに為替相場が大きく変動するようになったのは、七三年第1四半期以降のことです。その前にスミソニアン体制と呼ばれる時期が約一年強ありましたが、戦後は七一年まで固定相場制を基本とするIMF体制(ブレトン・ウッズ体制)が維持されてきました。そこで、まずブレトン・ウッズ体制とはどのようなものであったのかをみてみましょう。IMF協定は、第二次大戦直後の四五年十二月に発効しました。同協定は三〇年代にみられたような為替相場の切り下げ競争による国際通貨体制の混乱を回避することを最大の目的の一つとしており、為替相場は固定相場制をその基本としていました。IMF協定第四条第一項によって「各加盟国の通貨の平価(ParValue)は共通尺度たる金または一九四四年七月一日現在の量目及び純分を有する米ドルにより表示する」こと、また、同第三項によって加盟国は自国通貨の直物相場を平価の上下各一%の範囲内に維持することが義務づけられました。各国の通貨当局は、自国通貨の為替相場が平価より上昇し一%の枠を超えそうになると、市場で自国通貨を売ってドルを買い(この操作を買介入と呼びます)、逆に相場が下落して一%の枠を下回りそうになると、自国通貨を買ってドルを売る(この操作を売介入と呼びます)ことが義務づけられていたわけです。ただし、このような介入によって常に平価を維持できるとは限りません。例えば、国際収支が大幅な赤字となり、為替市場でドル需要圧力が強まった結果、ドル売り介入によって自国通貨の平価を維持しようとしても手持ちの外貨(ドル)準備だけでは不十分であるという事態が考えられます。そのような場合には、IMF等から必要な外貨を調達し、同時に引締的経済政策を導入し、輸入を削減して国際収支を改善させることによって平価を維持しなければなりません。ところで、ブレトン・ウッズ体制のもとではいったん決められた平価は絶対に変更できなかったかというと、決してそうではありません。当該国の国際競争力の相対的地位の変化に応じて平価を変更することが認められていました。IMF協定第四条第五項では、「加盟国は基礎的不均衡を是正しようとする場合を除く外、自国通貨の平価の変更を提議してはならない」と決められていました。この項を逆に読めば、「加盟国は基礎的不均衡を是正する場合には平価の変更を(IMFに対して)提議できる」ということになるわけです。このようにブレトン・ウッズ体制のもとで平価にある程度弾力性を持たせたのは、あまりにも厳格な固定相場制を採用した場合、自ら定めたルールによって制度そのものを破壊してしまうことになりかねないと思われたからです。ブレトン・ウッズ体制下の為替相場制度の基本は固定相場制ですが、その構造は柔構造になっており、「ルール」を弾力化することにより「制度」を維持しようとするものであったといえるでしょう。このような固定相場制度を「調整可能な固定相場制度」と呼びます。平価切り下げが可能となる基礎的不均衡とはどのような状態をいうのかという点については、IMF協定では明示されていません。しかし、一般には「国際収支の均衡を保つために取られる引締的経済政策によって生産が長期にわたって低迷し慢性的失業が不可避となるような状態」を指すものと考えられていました。