幕末期の日本人の識字率の高さは、訪日した外国人を驚かせたというが、その文字を学習する場であった寺子屋ではさまざまな身分階層の「師匠」が経営者であると同時に、手習いの担い手でもあった。農村部の師匠は、隠居した知識人や生活のために兼業だった者が多かったが、寺子たちの尊敬を集めたことは、今も全国各地に残された筆子塚(師匠の墓)からうかがい知ることができる。学制の本式改革を経た明治13(1880)年以降の儒教主義的教員養成についてみると、その学科課程は、教科教育への原理的理解よりも儒教主義的人間形成が目的とされたため、結果として専門的教育のレベルの低下を招き、「浅い教養で視野の狭い教員が養成」されることになった。
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